もち米のぺったんオタクライフ

まだまだオタクの悲喜交々。

ラジオ体操大事。

元気が無くとも、とりあえずラジオ体操をすれば動ける様になる。

萌えだけで動ける年齢を通り越すと、ラジオ体操のありがたみが分かって来る。

今日もラジオ体操のお陰で随分と動けるようになった。

太陽の光、ラジオ体操、そして適切な温度。

オタクであり続ける為には大事な要素なのかもしれない。

……お外がぼんやりしているので出掛けたくありません……

絶対なんか飛んでる。霞んでる。

気になるものは気になる。

やはり、数値化された評価というものは気になる。

同人誌即売会とは違い、ダイレクトに突きささる。

そんでもって、気になって落ち込んでふと冷静に分析すると数値の理由が分かる。

分かってもやっぱり目に見える数値というものは気になるものである。

もっと気楽に趣味を楽しめたらいいのにねえ。

楽しんでるけど。

ただ、数値化された評価はどんなに楽天家でも、やっぱり気になるのである。

若さは財産。

ある程度の年齢になって来ると感じるけれども。

若さは財産である。

無茶が出来ない。

徹夜や原稿詰めしても問題無かった体が、ラジオ体操をすると息が上がる。

なので言いたい。

体力があるうちにやりたいことはやっておいた方がいい。

多少の無茶も若い内ならなんとかなる。

しかし、ある一定の年齢を超えると、本当に、無茶が効かなくなる。

ラジオ体操した後に動けなくなったオタクからのお願いである。

ありがとう。

私は文章を書くオタクである。

とはいえ、頭は良くない。とても。英語とか数学とか引っ張り出されたら逃げ出す程度に頭は良くない。歴史も理科も地理も古文も大体逃げる。

それでも、文章を書くオタクである。

だからこそ、絵を描くのが楽しい。

最近、私の周りはそうでもないけれど、絵を描くことに何かしらの疑問を抱えている人が多い気がする。

楽しんで書くのがオタクとして一番だろうけれども、それが出来ないのが今らしい。

オタクとしては黒歴史以外能天気の塊の私でさえ、数字とか評価とか気になる。

目に見えるもんね。

ただ、そういうのが気になるのは小説を書いた時だけであって、絵を描いている時は何も思わない。

理由は単純に何も考えてないから。

周りのオタクが漫画を描くタイプが多かったこともあって漫画とか絵とかはオタクとして早々に諦めたのが良かったんだと思う。

自分の絵に対して「おお良く描けたな」程度にしか思わない。

だけど、絵を描くことが好きで大好きでそんな状態だったら、何らかの数値として目に見えてしまったら、潰れると思う。

たくさん知識が貰える代わりに、払う代償も大きいなあと感じた。

そんな今だからこそ。

自分が小説を書く側で、漫画や絵を描かないから言えることだと思うけど。

漫画を描いてくれる人、ありがとう。

絵を描いてくれる人、ありがとう。

私は表現できない部分だから、本当に描いてくれる人たちがいて良かったと思う。

ありがとう。

楽しくも苦しいオタクライフ

気が付けばオタクである。

もうかれこれ、何年オタクをやっているかわからない。

どっぷりオタク過ぎて、もうオタク卒業できないだろうなとは思っている。

 

私は、いわゆるオタク気質のオタクだと思っている。

若い頃には黒歴史の言動を大量に生み出し、それに関しては忘却の彼方におしやりたい。

今だって、まだまだ生み出してはいるが若い頃程では無い。

若さとは無敵故の黒歴史を量産する時期だと思っている。仕方ない。

しかし、あの時の黒歴史があって今の私がいるのだから、あの時黒歴史を大量生産していて良かったとは思う。

今の年齢で黒歴史を量産することほど恐ろしいことは無い。そういう年齢だ。

そして、その黒歴史を知っていながらも、まだまだ友人でいてくれる友人たちには感謝しかない。

そういうオタクである。

 

自分の黒かったり謎だったりする歴史を振り返ったり、何だか今の状況を冷静に見る為にブログをはじめてみた。

 

オタクライフは楽しい。けれど、苦しいこともたくさんある。

しかし、それを上回って、オタクライフは生きる糧なのである。